こんにちは、マサスケブログです。
みなさんはアンミカさんをご存知でしょうか⁈
最近、テレビでも見ない日はないほどご活躍されていますよね。
しかし、今でこそ大成功しているアンミカさんですが、彼女は子供の頃にとてつもない極貧生活を送っていたそうです。
今回はそんな彼女の壮絶な過去についてお話ししたいと思います。
アンミカさんの経歴
アンミカさんは、テンカラット所属の女性ファッションモデルで、大阪府立住吉高等学校を卒業されています。
彼女はトップモデルを目指し、高校卒業後に単身パリへ渡り、1993年にパリコレデビューしました。
また、2009年からは韓国観光名誉広報大使、2010年からは阪南大学特任教授を務めているそうです。
アンミカさんは、テレビやCM、ミュージカルなどでも活躍されているタレントです。
アンミカさんのお父さん
アンミカさんの父さんは韓国人で、下の名前は不明ですが苗字は「安(あん)」です。
アンミカさんの家族は日本で長く暮らしていましたが帰化はしておらず、国籍は韓国のままとなっているそうですね。
アンミカさんはテレビで家族写真を公開していますが、父親は背が高くハンサムな顔立ちです。
そして、何よりも家族のために働いていた父ですが、性格はとてもユーモアな人だったそうです。
どんだけ仕事で疲れていても、声を荒げて怒ることは一度もなかったといいます。
しかし、父の職業は ラーメン屋経営でしたが、アンミカさんが中学生の時に火事が原因で一家は住んでいた家から立ち退いてしまいます。
その後父親は居酒屋を始めるも失敗してしまい、その後は出稼ぎで家計を支えたそうです。
アンミカさんのお母さん
いつも明るくて優しい母でしたが、実は子どもの頃から病気がちで気管支が弱く、学校にもあまり行けなかったそうです。
ひざに水がたまったり、結核で入院したりした時期を経て、30代半ばにがんを発症してしまいます。
子供の頃から身体が弱かった母ですが、家計を助けるために家業のラーメン屋で働くだけでなく、保険の外交員の仕事をしていたこともあったそうです。
ラーメン屋では夕方5時から翌朝の5時まで働いていたとのことですので、いかに母親が働き詰めだったかが分かります。
子どものアンミカさんの目から見ても、本当に働きづめの人生だったと思ったそうです。
そんな働きまくりの働き詰めの母親でしたが、ポジティブな振る舞いや身だしなみを大切にしていたようです。
しかし、アンミカさんが9歳の時に母親の咽頭癌が発覚し、まだ43歳の若さで母親は亡くなっています。
ある先生との出会い
そんなアンミカさんの心を救ったのは中学2年生の時の担任の先生でした。
先生から「あなたは周りを引っ張る力を持っている」と励まされたアンミカさんは積極的な性格を心がけていきます。
そして、将来モデルになるという目標を立てられたそうです。
高校入学後にモデルへの一歩を踏み出したアンミカさんですが、卒業後はフランスへ渡り、20歳の時にトップモデルが集うパリ・コレクションに出演しています。
そこからがアンミカさんの人生の転機となっていったのでしょう。
まとめ
いかがでしたでしょうか⁈
今回はアンミカさんの過去についてお話させていただきました。
普段、メディアでは明るい姿しか見せないアンミカさんですが、こんなに壮絶な過去があったなんて想像ができませんよね。
辛い経験をしたアンミカさんだから誰よりも人の気持ちがわかってしまい、人を笑顔にしたり、元気にしてくれたりできるのかも知れませんね。
以上、マサスケブログでした。最後までお読みいただきありがとうございました。
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